ペンと剣は戦わない

生きていくために俺はあと何を犠牲にすればいい?

勝利と人生と終わりの話

 いきなりだが、僕は強いチームが好きだ。野球だったら巨人、メジャーリーグだったらヤンキース、海外サッカーならレアル・マドリードといった具合に。(一応知らない人のために解説すると、どれも超名門のチームです)そう周りにいうと、「勝つことが当たり前のチームの応援して当たり前に勝って何が楽しいの?」と必ずと言っていいほど聞かれる。

 この問題は意外と根が深いと思っていて、まずそういった質問をする人は大抵横浜とかそういう長らく優勝したことがないチーム(失礼)のファンであって、勝つことがどういうことがまずそもそもあまりよくわかっていないというのがあるのだけれど、それ以上に「勝ち続けることは一回ポッと勝つよりはるかに難しい」ということを理解できない、という問題がある。勝ち続けると要求されるハードルはどんどん上がっていくうえに、周りも勝たせないように対策をするから。1回目の「勝つ」と10連続目の「勝つ」の難易度は同じではないのだ。

 楽しい何かを続ける、ということはそもそもそれ自体が非常に困難なことで、どんなものも当たり前だけど終わりを迎えるのはきっとしょうがないことなのだろう。

 そうなると今度はどう終わらせるか、ということが問題になってくる。どう終わるなら美しい思い出としてどんな楽しかったことも保存しておきたいから。そして、それはきっと人生も同じ。

 あの生きると死ぬの境界線上をさまよっていた3月を振り返ると、そこにきっと致命的な問題があったのだと思う。あのとき、確かに大部分は幸福な時間だったはずだと思う。だけれど、それを総合的に見たときどうしても脳が幸福とは遠くかけ離れた感情を抱くのは少なくとも終わり方と無関係ではないはず。

 せめて人生くらいは穏やかに終わりを迎えたいのだが、なかなかこちらもうまくいかないものなんだろうな、と思う。あぁ生きるって難しい・・・。

 

 あの3月に僕を助けてくれたすべての人に最大限の感謝をこめて、新入生でごった返してどうしようもないクソッタレ大学の図書館から。