ペンと剣は戦わない

生きていくために俺はあと何を犠牲にすればいい?

煙草

 留年して時間割がスカスカなこともあって、最近アルバイトを増やしている。何もしていないと不安になる、というのもあるし、大学の課題やらなにやらから逃げ出している、という側面もある。

 そうやって一日を過ごす中で、アルバイトというものは所詮余った時間を体力を使って金銭に変換する無為な作業でしかない、という事実に最近うっすら気づいているなかで、今日も明日もひたすらバイトをする。あ、バイトは日本で一番嫌われているファーストフード店です。

 そうやってクタクタになるまで働く中で一応存在する休憩時間は、たいていご飯を食べて、食後に煙草を一服して終わる。

 ご飯を食べて、喫煙所に行って煙草を吸っている時間というのは何も考えることなくボーっとすることができて、ストレスのたまる労働時間の中では数少ない精神的に安定する時間だ。喫煙所といっても道路に面した通路にスタンド灰皿があるだけの場所だが、いかんせんそこでしか煙草が吸えないのでやむなく皆そこに集まるのだ。

 あらかじめ買っておいた缶コーヒーを片手に、煙草に火をつける。本格的に吸い始めてからはアメスピの黒がメインだ。アメスピは他と違って燃焼剤が入っていないのでなかなか火がつかない代わりに長く吸うことができるのが利点だ。だから、僕より後に来た人が僕より先に吸い終わって場を立ち去る、ということがしょっちゅう起こる。その様子を観察するのもまた楽しみである。煙草を吸って地面に腰を下ろして空と目の前を走る車をぼんやり眺める。

 健康に悪いと知っていながら、それでもなお煙草を吸い続けるのは結局なぜなのだろうか、というようなことも考えないわけではない。最初に煙草を吸い始めたのはちょうど大学生として完全に行き詰っていた時で、何かを変える必要があったからだ。今もなおなぜ吸っているのか、ということを考えると、周りが皆吸っていてコミュニケーションツールとして、ということもあるのだと思う。ただ、それ以上に生き急ぎたいから、という面も少なからずあるような気がしている。皮肉なものだ。生き急ぐために吸っている煙草によって、自分という存在をかろうじて保っていられるのだから。

 昔、誰かに煙草やめたら?と聞かれて精神状態がよくなったらね、と答えた気がする。それはきっと正解であり、嘘でもあるのだろう。なぜなら精神状態がよくなった時の自分がどういったものか今の僕には想像することができないのだから。