ペンと剣は戦わない

生きていくために俺はあと何を犠牲にすればいい?

人間の話。

 

 馬鹿ですね。はい。

 いや僕も大学生という身分を手に入れてからもう2年も経ちますが未だにこれやるんですよね・・・。まぁ何が良くないかっていえば間違いなく最初から最後まで間違っているんでしょうが。そんなわけで僕はいま、自宅の最寄り駅のインターネットカフェで8時間1580円のパックを取ってこの記事を書いています。しかも諸事情によりスーツで。うーん。悲しい。完全に自業自得なんだけどさ。

 

 さて。

 ここ数日、このアカウントで知り合った多くの人がいつも以上に傷ついている気がする。言い方が悪いことは十分わかってて言うけど、僕がフォローしている人の多くは、(僕を含めて)いわゆる「普通」の人と比べると、うまく生きていくのが難しい。そういう人が傷つくさまを見るのはすごくつらい。しかも、ここ最近のは、みんな自ら墓穴を掘って、自分で首を絞めている気がする。たとえば、わざわざ敵を作ってバトルを自分からしたりそのわかりやすい挑発にのったり。そうして発生するバトルがさまざまな厄介なことを呼び起こして、ただでさえ生き難いこの世をさらに自分から困難なものにしている気がして、すごく悲しい気分になる。

 じゃあ、ああしなさいこうしなさいとかそういうことを言う資格が僕にあるかと言われたらそれは間違いなくノーなのだけれども、もうすこし賢く楽に生きてもいいんじゃないかな、というのは思う。この楽に生きるというのは簡単そうにみえて実はものすごく難しい。楽にする場所を間違えると容易に死ぬから。ただ、余計なものを付け加えない、というのはきっと僕たちにもできるんだと思う。そういう余計なものをギリギリまで削ったことで見えてくるものがあって、たぶんそれが一人の人間がやるべきことなのかじゃないか、という風に考えることはたぶん可能なのではないか。

 その「やるべきこと」のきっかけは別に怒りでもあこがれでも何でもよいのだけれど、きっとそこでは絶対に妥協しちゃいけなくてそのやるべきことっていうのは絶対にやり遂げなくてはいけないと思う。そのやるべきことに向かって進み続けることが僕ら自身の存在意義の証明そのものだし、それすら放棄してしまったらもう人生の中身が無くなってしまう。

 そして「やるべきこと」が本当に正しいかどうか、という議論に全く意味はない。なぜなら、「何が正しいかどうか」というのはあくまで一人一人が決めることであって、やっている本人が正しいと思えばそれで終了だから。そこに他人の意見が入り込む余地なんて全くない。

 さて、最終的にそれに向かって突き進む原動力になるのはおそらく自分自身のなかにある狂気であって、狂気っていうのにはその人の本性が現れる。 僕はそれを見るのが本当に、もう本当にどうしようもなく大好きなのだけれど、ここまで読んでくれた奇特な人の狂気ってどんなものなのだろうね?