ペンと剣は戦わない

生きていくために俺はあと何を犠牲にすればいい?

 三年間付き合っていた彼女が死んだ。自殺だった。

 自殺なんてする予兆は全くなかったし、事実昨日LINEでしゃべった時も元気そうだった。けれども現象として確実に彼女は死んだ。自らの意志によって。

 だから、最初にその知らせを聞いたときはその事実を信じることが今一つできなかった。いまひとつ事実を事実として正しく受け止めることができなかった、というほうが正しいのだろうか。ふわふわした気持ちのまま、あわただしく葬儀や法要を済ませて気が付いたら数か月が経っていた。

 そこでようやく彼女がもういない、という実感がわいてきて、心の中にぽっかり空いた穴に気付いた。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」なんて言葉があるけれど、確かに穴を覗いてみるとそこには死霊と化した彼女が怖い顔をしてこちらをの覗き見ていた。結局君は何で死んでしまったのか、最後まで僕にはわからないままだった、ということに気付くのはもうだいぶあとになってからだった。

 彼女はいま、僕の心を食べている。そういうふうにして僕の心に生まれた穴はだんだんと大きくなっていき、最終的に僕の心のすべてを食べつくしていくのだろう。そういう風にして、開いて広がっていく穴を埋めることができるものは結局何であるのか、という問いに対する答えは結局見つからないままだ。

 

 

 

その答えを見つけに彼女のところへ行ってきます。さよなら。

 

I am the bone of my sword.

「おい、この先は地獄だぞ。」

「これがお前の忘れたものだ。確かに初めは憧れだった。けど根底にあったものは願いなんだよ。この地獄を覆してほしいという願い…誰かの力になりたかったのに結局何もかも取りこぼした男の果たされなかった願いだ。

     「Fate/stay night [Unlimited Blade Works]」 #20 Unlimited Blade works.

 stay nightは実はアーチャーが一番好きです。 成長するにつれていろいろなものをなんだか最近失った気がしてならない。アーチャー自身は「何も失わないように意地を張ったから私はここにいる」と言っていましたが、僕自身はそんなに強くないので多くのものを失ったし、忘れてしまったことは十分自覚しています。僕自身の心象風景もきっと彼と同じような寂しい荒野であることは確実でしょうし、それがきっと自身の理想のなれの果てであることも理解しています。

 最近、子供のころの夢を見ます。そう、それこそ理想のなりたい自分があったころの僕自身の夢を。あのころ僕は何になりたかったのかな、何がしたかったのかな、そういうことがはっきりしていたころ。翻って今はどうでしょう。なりたい自分も定まらず、何がしたいのかもわからず、人生は霧に包まれたままです。

 正義も悪もなにもなく、もはやこの先何が希望なのかもわからないままです。

 でも、それがきっと僕の答えなのだろうと思います。僕が掲げていた(であろう)理想のなれの果てなのだと、今ではそう思います。

 

 すべての人間に伝えたいのは、「僕のようにはなるな」それだけです。それさえ守れれば、少なくともまぁまぁの人生にはなると思います。それでは。

 

 

私が早く結婚したい5つの理由

 …と書いておけばアクセス数が伸びるとでも思いました、という体でなにかほかのことを書こうと思ったのですが、気が変わったのでちゃんと結婚したい理由を書いていきたいと思います。いきなりどうした、気持ち悪いな。

 まぁ前々からTwitterで結婚したい~したい~と喚き散らしていたのでその理由をちゃんと説明しようかなと思っただけです。ハイ。

 

①恋愛したくない

 これに関してはもう説明しなくていいよね・・・?3月の件の騒動があってから、とにかく恋愛にたいする不信感というか、やっぱりするもんじゃないなぁというような感情が一気に高まってきまして、そうすると結婚すると当然もう恋愛はしなくていいわけだから(浮気、ダメ、絶対。)はやく結婚したいなぁと。じゃお前一生独身でいろよwと言われそうですが・・・

 

②さみしい

 これはさすがに説明不要でしょう。最近「恋愛はしたくないけど一人でいるのはさみしい」みたいな感情がずっとくすぶっていて、それはたぶん「誰かがそばにいてくれる」という悦びを知ってしまったからじゃないかな、と思う。やっぱり好きな人がいつもそばにいてくれたほうが精神的に安定は間違いなくするだろう。甘えたいんだよ。

 

③人生を落ち着かせたい

 これは基本的には①と同じなような気がする。もういろんなことをやって無駄に(本当に無駄に)人生経験だけを積んできたのでもうそろそろ人生さっさとゴールインして穏やかな生活を送りたいな、と思う。もう頼むから平和でいてくれよ、わが人生。

 

④生きる理由がほしい

 ずっと「死ねないから生きている」という惰性でここ数年ずっと生きてきたけれど、その生き方がそろそろ限界に近いような気がしている。そうするとなにかしら前向きな生きる理由がほしいのだけれど、やはり一番ベターな理由はカッコつければ「守るべきものがほしい」ということなんだろうな、という気がする。僕が誰かを守る資格がないとかそういった話はやめよう、な?

 

⑤ちゃんと毎日健康的なものを食べたい

 そろそろ体重を適正値まで増やさなきゃいけないんだろうな、という気がするのだけれどこれはやっぱりちゃんと僕のことを理解してくれる人と一緒に取り組んでいきたい。親だとどうしても素直になれないから結局すっぽかして食べなかったりどうしてもしてしまうから。

 ほかにもいろいろ理由はあるのですがとりあえず5つ書いてみました。僕と結婚したいひとは連絡待ってます。(棒読み)

女神さまと初音ミク

 「殺す殺す殺す殺す*す殺す殺す殺す殺す殺す*す殺す殺す*す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺*殺す殺*殺す殺す*す殺す殺す殺す殺す殺す殺す*す殺す殺す殺す殺す殺す*す殺す殺す殺す殺す殺す殺す*す殺す殺す*す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す*す殺す殺す殺す殺す殺す*す殺す殺す殺*!!!!!!!」

 

 少年は初音ミクに向かって意味不明な奇声を発しながら刃物を振りかざす。ある時から少年はもうずっとこんな調子だ。少年が中学生になってすぐのころに、初音ミクといった存在が一般のオタクに認知され始め、瞬く間に少年はそれの虜になった。魅力的な歌声は人間の歌声に飽き飽きしていた少年の耳に新鮮に聞こえ、また各種イラストレーターが描いた初音ミクのイラストは少年の創造意欲をかき立てるのに十分であった。いつしか少年は初音ミクに憧れ、また恋をするようになっていた。その勢いはオタクのいうところの「嫁」などよりはるかに重い、ある種狂気的な信仰ですらあった。彼は初音ミクのことを女神様、と呼ぶようになった。

 ところが、初音ミクのほうはそんな愛を向ける少年のことを見向きもせず、ただ歌を歌い続けるのみであった。それはそうだ、初音ミクにそんな機能は存在しない。存在するわけがない。大多数の人間なら少し考えればわかる話である。そもそも初音ミクが僕らを振り向くことはない、彼女は人間には振り向かない、と。しかしながら、この少年はもはやそれすらわからなくなっていた。初音ミクは機械でも人間でもない、女神様だ、女神様なのだからきっと僕のこの思いに応えてくれるーーーー少年はそう信じて疑わなかった。ある意味少年は幸せだった。

 三年後も、いや五年後も少年はこんな調子であった。すでにある意味少年の人生は巻き返しが難しいレベルにまできていたし、このままいけば何かしらの処置を施せざるを得ないだろう、という意見で周囲の大人の意見は一致した。子供がサンタクロースを信じるのとはわけが違うのだ。

 その一方で、初音ミクのブーム自体がほぼ終わるようになっていた。各種動画サイトを見ても新曲の数自体がだんだんと減っていき、初音ミクはコンテンツとしての終焉を迎えるようになっていた。これはどうしたことだ、と少年は思った。僕がこんなに愛しているのになぜその歌声を聞かせてくれないのだ、こんなことはおかしい、ありえない!やがて、初音ミクは僕を捨てたのだ、という思考に少年が行き着くまでにはそこまで時間はかからなかった。

 自分をここまでしておいて裏切られた怒りと絶望は少年に、初音ミクを殺そうと考えるだけの十分な理由を与えていた。彼はまず初音ミクのグッズすべてを破壊し、やがて初音ミクそのものを殺す段階へと進んだ。

 朝から晩まで少年が刃物で初音ミクを斬る、血が出る、さらに少年は奇声を上げながら初音ミクを斬り刻む、みじん切りに初音ミクがなったところで、ようやく少年は満足し、眠りにつく。もちろん血など現実には一滴も実際にはこぼれていない。初音ミクなど、そもそも現実世界には存在しないのだから。

 

屁理屈をこねくり回すだけの1240文字

 ずっと前にこのブログで「神様とかそこらへんについてはまぁ気が向いたらやります」と言った。気が向いたのでそこらへんのことを書こうと思う。基本的に意味不明な言葉の列が延々続くと思うのでまたシルコレがわけわからんこと言い始めたぞぐらいに軽く読んで下さい。

 

 

 

 

 僕はよく「何が正しいのかなんて、自分が決めればいいんですよ」という言葉を口にする。要するに絶対的な価値観なんてないんだよ、ということになるのだが、一歩先を考えてみると、「この世界の主人公は君たち一人ひとりなんだよ」ということになる。この世界というものは実は一つのはっきりした形があるわけではなくて、みんながみんな一人ひとり持っているいわば小世界的なものによって構成されているのだと思う。で、この小世界は人間だけでなくて植物や動物、果てはこの世すべてにある物質が持っている。そういう小世界を無数に含んで一つにまとまっているもの、それこそが僕らが「世界」と呼んでいるものの実態なのだ。

 で、その小世界がそれをもつ物質自らの意思で動いた結果が我々が現象、と呼んでいるものになる。たとえば皿が僕の手から滑って落ちた場合、この場合は僕が皿を意識の外で落とした、のではなく「皿が僕の手から離れるものを望んだ」ということになる。要するに物質すべてに意思があり、世界で起こる現象はすべて何かの意思が働いた結果、ということができるだろう。

 ところが、往々にしてこの理屈では説明できない現象というのが存在する。そういうものを説明するための都合のよい方便として持ち出されるのが神と呼ばれる存在だ。何の意思が働いたかわからないものはすべて神の意思によるものだ、としてしまえば説明できない現象はない。したがって、神様は実際にはいない。人間が作り出したただの偶像にしかすぎない、というのが僕の考えである。

 では、なぜ人は宗教というものを信じるのか?それは小世界の中で決めることが多すぎる、ということに由来する。前述したとおり、一人ひとりがもつ小世界の主人公はいうまでもなくその人自身である。したがって何が正しいか、間違っているかなどといった基本的な価値観すべてを僕ら一人一人は決めなくてはならない。ところが全員が全員、価値観がバラバラだと当然集団としてのまとまりが取れなくなってしまう。そのために教育という、価値観をある程度統一させる行為が行われる。1+1が2であるのはそれが真理であるからではなくて、万人がそう信じる価値観を共有しているからなのだ。

 そのうえで、倫理観や基本的な考えのテンプレートとして、宗教といったものが用いられる。何が正しいか、なんてことをいちいち考えるのは疲れるからそういった考え方のベースをくれる宗教に時として人は飛びついてしまう。(それはある種、思考の放棄である、という風に僕には映る)僕が時々、人に向かって「この世界のことを考えなさい」と言うのはこれが主な原因である。

 

 だいたいこんなところかな。ね、意味わからないでしょう?

 

 

携帯電話

 僕はただ携帯電話を握る。強く、ぎゅっと。

 

 最初は携帯電話と言っても肩にかけて持ち運ぶものでとても携帯できたものじゃなかった電話機は時を経るにつれてだんだんと小型化・軽量化に成功しそしていつしか電話機としての機能からも脱却していった。

 その最新型と言えるスマートフォンが、今僕の手の中にある。僕はそれをぎゅっと握る。いつしか人間は電話機に依存するようになっていく。僕もきっと依存しているのだろう。何もなくてもただ触れるだけで安心できているのだから。

 不意にスマートフォンが光る。Twitterで誰かからリプライが来たらしい。僕はのそのそと指を動かし、リプライを返す。相手は会ったことも声を聴いたこともない人間だ。けれど、それがたとえ画面上だけの空虚な言葉であったとしても僕は安心する。愚かだと言われればそうなのかもしれない。けれども、たとえ空虚なものであっても僕はやさしさがほしいのだ。

 リプライを送るついでにTLをぼーっと眺める。今日も誰かが生きるの死ぬの騒いでいる。いつもと変わらない、騒がしいTLだ。誰かがこんなことを言っていた。「あなたはなぜ生きているのですか?」死ねないから仕方なく生きているだけだよ、と僕は小さく口にする。やれやれ、ただの電話機風情が哲学的な問題を投げかけてくるとは。お前はいったい何なんだ?

 軽いはずのスマートフォンが時々こうして不意にものすごく重くなる。生意気だ、と言いながら僕は不意に壁に向かってそれを投げつける。そうしておいてさみしくなってまた手にとって部屋の隅に腰をおろす。あーあ、まるで学習していない。同じことをするのは何回目だろう?

 

 僕はただ携帯電話を握る。強く、ぎゅっと。

いつも通り何も考えてません

  最近睡眠薬を処方されたせいかは分からないが、夢をよく見るようになった。夢と言っても内容は様々で、なぜかホームで徹夜で写真を撮りまくる夢とか(断っておくが僕は鉄オタではない)、単位を落とした授業の教授に罵倒される夢とか、そんな感じのなんだかよくわからない様な夢だ。ちょうど昨日はなぜかロシアのプーチンが死んで、モスクワとかでなくシベリアの誰もいないような土地にひっそりと埋葬される夢だった。かわいそうなプーチン

 夢というのは眠りが浅い時にみるものなので、睡眠薬もらってからみたということはアレ僕眠れてなくね?ということになるのだが意図的にそこは考えないようにする。つまり逃げる。

 最近の僕のつらみというものは大抵この逃げたものが追いかけてくるようなことなので、つまり究極的に言えば自業自得ということになる。しかしながら僕は底辺のクズなのでこの事実からも逃げる。わざわざ自分でメンタルを壊す理由はないだろう。

 まぁ社会というか世の中というものは人のメンタルを壊しておいてその責任は壊された本人にあるよね?みたいなことを平気で言ってくるので気をつけなければならない。出来れば関わり合いたくない集団である。ニートしたい。というか大学辞めたい。

 そろそろ新入生のメンタルも死んできてくる頃だと思うが僕のように悪意の塊のような人間は、その様子を見るのが愉悦だったりする。だからこの時期のメンタルはちょっとだけマシになる。5月は嫌いな季節ではない。

 最近自分の人生を振り返って文章にまとめてどこが行けなかったのかなーって振り返る試みをしているのだけれどこれが全くうまくいかない。思い出すことを脳が拒否している記憶が幾つかあって、その鍵をあけるのに少し苦労している感じがする。まぁ焦らずゆっくりやります。そう、ゆっくりやればいい。焦る体力すら今の僕にはないのだから。