ペンと剣は戦わない

生きていくために俺はあと何を犠牲にすればいい?

とある勇者の一生

 むかしむかし、どこにでもある小さな村に、一人の男が産まれました。当時、男が生まれた世界は一人の魔王によって支配されており、人々はその圧政に苦しみ、勇者の存在を待ち望んでいました。

 男は産まれたときから自らの存在の意義を自覚していました。それは勇者となって、この世界を救うことでした。後で男が父親から聞いた話ですが、男は光り輝いて母親のおなかから出てきたそうです。男はすくすくと成長し、また勇者となって世界を救うための訓練を自分で始めました。男は成長するにつれて、手に持つ武器は棒切れ、竹刀、木刀、そして真剣と変わっていきました。男はいつも、僕は正義の味方になる絶対にこの世界を救ってみせると誓い、またそれにふさわしい心、体、そして剣の技を身に着けていきました。

 そうして男は18歳を迎えた夏、周りの人々に時は満ちた、僕は世界を救いに行くと言いました。反対する人は誰もいませんでした。みんな男ならきっとやってくれるだろう、そう信じて疑いませんでした。それほどまでに人々は苦しみ、また男を最後の希望と信じていたのです。実際、男に対して早く旅に出て世界を救ってくれと言っている人が年に2、3人は男の家族の家に押しかけるぐらいでしたから。

 こうして男は旅に出ました。途中、苦戦することもありましたが、途中で仲間になってくれた盗賊、僧侶、魔法使いという愉快な仲間に恵まれたこともあり、どうにか魔王いる城までたどり着くことができました。

 奇妙なことに魔王がいる城には誰も、何もいませんでした。ネズミ一匹すら現れません。妙だな、と男は思いました。もしかしたらこれは僕たちをおびき寄せるための罠なのではないかと疑うほどに、不自然なほど広い城はがらんとしていました。男たちは黙々と、城を探索しつつ上の階に上っていきました。やがて、最上階に魔王が一人ぼっちで、かつて立派だったであろう椅子に黙って座っていました。

 男が近づこうとすると魔王は来たか、と小さく呟き勇者に向かってこう言いました。

 「さて、これから儂と貴様は最後の戦いをするわけだが・・・どうだろう、ここまでたどり着いたことを称えて貴様に世界の半分をやろう、それで手を打たないか?」

 ふざけるな、と男は思いました。散々人々を苦しめておいて自分はのうのうと生き続けるつもりなのか、と。ところが、男はその誘いを断り、魔王に斬りかかろうとしたとき、ふと背後にいる自分の3人の仲間たちが目に入りました。全員どこか疲れ切っていて、今にも倒れそうでした。村を出て、一人ぼっちだった男のそばにいてくれたかけがえのないこの3人を失うことは男にとって、耐えられないほどの恐怖でした。たとえ、世界の半分の人を見捨てることになったとしても、僕には失うことができない、と男は思いました。しかしその一方で、その決断が勇者として許されないことも男は理解していました。

 少し考える時間をくれ、と男は魔王に言いました。それが、男にできた精一杯の抵抗でした。

 仲間たちは次々と男に僕たちのことはどうでもいい、魔王を倒すべきだ、何をためらっていると男に詰め寄りました。しかしその発言はすべて、自分たちはここで力尽きてしまうけれど、という注釈がついていることを男はしっかり見抜いていました。どうしてこうなった、と男は思いました。自分はただ、魔王を倒して世界を救う、ただそれだけのために行動してきただけなのに、どうして仲間と世界の半分、どちらかを犠牲にしなければならないのだろう、と。

 

 3日後、男は魔王に提案を受け入れると伝えました。

 こうして男は世界の半分を救いました。それと同時に、世界の半分を見殺しにしました。男たちの仲間はあるものは理解を示し、またあるものは男に失望しました。しかし、失望したものも魔王を自分一人で倒すことは不可能だということを理解していたので、結局男のもとにとどまりました。こうして男は世界の半分と、仲間を勝ち取ったのです。

 

 さて、世界の半分を魔王からもらった男はこう考えました。これがゴールではない、ここから人々を正しく導いてこそ真のゴールだと。そしてこれが、自分が救えなかった世界のもう半分の人々に対するせめてもの罪滅ぼしだと。

 そして実際に男は人々を正しく導き、素晴らしい時代となりました。男が治めた国は繁栄し、人々は幸せな暮らしをおくることができました。人々はこぞって彼こそ本物の勇者だとたたえました。

 そうして、数十年が過ぎました。

 相変わらず、男の収める世界は平和そのものでした。人々はこの世界を理想郷と言呼ぶようになりました。男にとっても、人々が楽しそうに暮らすのを見るのは喜びでした。自分がかつて救えなかったもう半分の世界の人達へも少しは罪滅ぼしになっただろうか、と考えながら幸せそうに人々を見る男の顔はとても晴れやかでした。

 そんな時です。男のところに使者がやってきました。使者は、魔王が死んだ、もう半分の世界もあなたに治めてほしいと男に言いました。男は二つ返事で引き受けた、と答えました。かつて救えなかったもう半分の世界も救えるチャンスが来たのです。男に断る理由はありませんでした。こうして男は名実ともに世界を手に入れたのです。

 さて、こうして男は魔王が治めていた世界に足を踏み入れることになったわけですが、そこで男が見たものは想像以上にひどいものでした。土地は荒れ、人は痩せ細り、治安は乱れ、どうしようもない状態となっていました。もちろん男は今まで自分が治めていた世界と同じような理想郷にしたいと意気込み、また実際に頑張りました。

 しかし、それはあまりにも無謀なことでした。単純に男がやらなければならないことは2倍に増えたうえ、魔王がいた世界の再建はもともとの基盤が弱かったので困難を極め、いつしか男はそちらにかかりきりの状態となっていきました。当然、もともと男がいた地域のほうは放置され、だんだん荒れていきました。

 おかしいな、と男は思いました。世界全体を救おうとしているはずが、だんだん世界全体がおかしくなっているぞ、と。それは仕方のないことだったのかもしれません。この世界は誰か一人がどうこうできるほど小さいものではなかった、と男が気づくのはすべてが終わった後だったのですから。

 そう、この世界は男一人がどうにかできる領域をとうに超えていたのです。いつしか男のやることも雑になり、世界は荒れ果てていく一方でした。そして、その流れにあらがうだけの力をもはや年老いていた男にはありませんでした。男の仲間たちもひとり、またひとりと寿命をまっとうし、男のもとを去っていきました。そしてそのことは男の心に決して小さくない傷を残していきました。

 そうして、また何十年か経ちました。

 世界は悲惨な状況でした。男はもはやすっかり意欲をなくしてしまい、仲間がいなくなった城でひとりぼっちで座っていました。かつての男の栄光を知る人間もひとり、また一人といなくなり、いつしか人々は男のことを魔王と呼ぶようになりました。その呼び名はかつて男が滅ぼそうとしたものと全く同じ呼び名でした。それもいいだろう、と男は思いました。ならばそれにふさわしい行動をとるだけだ、とうそぶきながら男は次々と自分の部下を魔物へと変えていきました。

 やがて、男のもとに勇者が現れたという連絡が入りました。それは男が待ち望んでいた知らせでした。これで俺の役目は終わった、あとは若いものに託すことができる、と男は思いました。そうこうしているうちに勇者が男のもとにやってきました。その血気盛んな様子はかつての自分を見ているようで男は少しまぶしくなりました。

 さて、これで男は勇者に倒されて無事に終わるのが男のシナリオでしたがここで男は考えました。いきなり世界全部をこの若者に託してもうまくいくはずはない、私は失敗したが、魔王のようにやはり最初に半分だけ世界を渡してそのあとすべてを託すほうがよいのではないか、そもそも私が失敗したのは魔王から渡された世界がひどかったからであり、私がもっとちゃんと治めればもっといい状態で勇者に引き継げるだろう、と。数秒間考えた末、男は勇者にこう言いました。

 「さて、これから儂と貴様は最後の戦いをするわけだが・・・どうだろう、ここまでたどり着いたことを称えて貴様に世界の半分をやろう、それで手を打たないか?」

 そう、かつて男が魔王に言われたことと全くおなじ言葉を勇者に言ったのです。もちろん、そのあと勇者がとった行動もかつての男と全く同じでした。

 こうして男は勇者に世界の半分を託し、残りの半分を治めることとなりました。

 

 そして数年後、男はひっそりとこの世を去りました。誰にも看取られることなく、一人ぼっちで。それはかつて勇者と崇められた時代からは考えられないような、さびしい最期でした。

 

死んで天上界へ向かいながら、男は地獄行きだろうな、と考えました。あれだけ大勢の人々を苦しめたのだから仕方ないと男は考えていたのです。

 ところが、天上界で待っていたのは待っていたのは神様らしき人物と、かつて自分が対峙した魔王でした。神様は神妙な顔で男に伝えたいことがある、と言いました。

 そうして神様が話したのは、この世界のことでした。神様が言うには、この世界はみんなで話しあって支配するのは難しすぎる、だからひとりの人間を犠牲にしてその者に世界を治めさせることにしたのだ、と。そしてその世界を治める人間はあらかじめこちらで決まっていて、君もこちらの思惑通りに生きてくれたのだと。だが、それは君にとってはあらかじめ決められたレールの上を最期は人に恨まれながら歩かせてしまったことに他ならないのだ、すまなかった――――そう言って、神様は深々と男に向かって頭を垂れました。その時男は気が付きました。神様と魔王の後ろにもたくさんの人々がいました。その人々は男や魔王と同じく、若いうちは勇者と称えられ、晩年は魔王と憎まれた人々でした。

 

 今でも、天上界には何十年かに一度、世界の支配者が登ってきます。それを見るたびに男たちはこんな世界滅ぼしたほうがよいのではないかと考えますが、かつて世界の半分を見捨てた自分たちにその資格はないのだと諦めつつ、お疲れ様と男たちは声をかけるのでした。