ペンと剣は戦わない

生きていくために俺はあと何を犠牲にすればいい?

スイッチ

 この世界に僕を満足させてくれるものなんて何もない。本日10本目となるセブンスターを吸いながら、僕はそんなことを数少なくなってしまった大学の喫煙所でぼんやり考えていた。いや、実際ひどいものさ。なんていうかな、先の見えない感しかないんだ。例えるならそうだな、フェリーに乗ったことはあるかい?フェリーに乗ってさ、夜中に外に出てみるんだ。そうして、誰もいない、明かりが灯らないところに行ってみるがいい。暗闇で味わう船の揺れや波の音、そういったものに対して体が示す感情、それに今の状況は似ているんだ。

 別に大学生のうちにやりたいことなんてないから、大学に通う意味を考えたら将来必要となる学歴を買うためっていう事実しか残らなくてね。必然的に授業にほとんど行かなくなって、無事に留年確定さ。ほんと、何やってるんだろうね?とにかく、新入生の4月くらいにあった僕のやる気みたいなものは今じゃ綺麗に雲散霧消、無事アルコールとニコチン、それにカフェイン中毒の人間の出来上がり。人間一人を壊すなんて、以外と簡単なんだよねえ。

 

 そういうことを考えていると、気付いたら背後に奴、秋月加奈子がいつの間にか忍び寄っていた。

 「また煙草ですか?」

 「悪いか?」

 「いえ別に。ただもったいないなと。」

 こいつはいつもそうだ。「先輩は酒と煙草をやめて口を開かなければそこそこモテますよ」という。冗談じゃない、そんな奴になるぐらいなら舌を噛んで死ぬね、間違いなく。

「それで今日は何の用だよ」

「それがね、何もないんですよ。ただまあ、あえて言うならちょっと世界を滅ぼしてみようかな、なんて思いまして。」

 

 そうきたか。そもそも、サークルの後輩であるこいつに「この世界はクソだ、さっさと滅ぼせ」なんてことを酔うたびにのたまわっていたのは紛れもないこの僕なので、こいつがこんなことを言うようになった責任の何割かは間違いなくこの僕にある。とは言っても、僕らの所属するサークルというのは良くも悪くも普通という言葉の定義を履き違えて育った人間ばかりなので、正直なところ、特に驚きはしなかったけどね。ちょうどいい、少し話に乗ってみるか。退屈しのぎにはなるだろうし。

 

「ほう。そりゃまた何故?」

「いやだなあ、私がちゃんと理由があった行動をとる人間に見えますか?なんとなく、ですよ、なんとなく。明確な理由なんて存在しませんよ。」

「こりゃ失礼。確かに君が何かを始める時というのはたいてい明確な理由などなかったな。それで生きていけているのだから大したものだが。で、どうやって世界を終わらすのか聞かせてもらおうじゃないか」

「簡単ですよ、このスイッチを押すんです。」

そう言うとこいつは、ポケットから危険物であることを示す黄色と黒のストライプで包まれたスイッチ、というかボタンを取り出した。大きさはそうだな、ちょっと前に「へぇボタン」って言うのが流行っただろう?大体あれぐらいの大きさと言えばわかるかな。

正直に言おう。ものすごく胡散臭い。胡散臭さしかない。こいつはこんなもので本当に世界を終わりにすることができると思っているのか。もう少し論理的な思考をする奴と思っていたがここまでわがサークルの毒気にあてられたか。やれやれ、何てことだ。ここまでイカレてしまったらもう最後まで付き合ってやるしかないじゃないか。

 

「それじゃ押しますね。」

「一応聞くが、それはどういった仕組みで世界を終わらせてくれるんだい?」

「逆にお聞きしますが、先輩はこの世界を終わらせる仕組みを知っているんですか?」

「ふむ。確かにこの世界を終わらせた人など誰もいない。この世に魔王や竜王など実在しないからね。しかし君がやろうとしているのはその魔王や竜王に肩を並べようとする行為だ。ともすれば、何かしらの裏付けがそこにはあるはずじゃないのかい?」

「そうですね、確かにその通りだと思います。でもね、先輩。魔王が世界を滅ぼす仕組みが解説されたことがありますか?あるわけないんですよ。だって彼らはしょせん勇者の引き立て役でしかないんだから。その意味ではスライムも竜王も違いはありませんよ。」

「悲しい定めだ。」

「そうです、悲しい定めです。だから、だから、絶対にこの世界は終わらせなくちゃいけないです。これ以上勇者がいるからという理由だけで悪に仕立て上げられた人を増やさないために。」

 

それじゃ、カウントダウンでも始めましょうか。そんなことを言いながらこいつはゆっくりと、大事そうにそのスイッチを手のひらの上に乗せた。そして―――

「10」「9」「8」「7」「6」「5」「4」「3」「2」「1」「0」

 ゆっくりとそう呟きながら世界滅亡のスイッチはしっかりと押した。何てことだ。まだまだやり残したことはあったのに。そう考える一方で、もちろんこんなことで世界が滅びるわけない、とも思った。よかった、僕の頭はまだ正常だったってわけだ。

 

 「ねえ先輩」

 「なんだ後輩」

 「先輩さっき、なんで世界を終わらせるんだって聞きましたね」

 「聞いたな」セブンスターに火をつけながら答える。

 「本当はね、世界の終わる音ってのを聞きたかったんですよ。ほら、いろんな映画や小説で世界滅亡の情景っていうのは語られるでしょう?でも音については誰も触れていないじゃないですか」

 私はそれが聞いてみたかったんです、と答えるこいつの横顔を見ながら僕は思う。こいつは何がしたくてわざわざ僕のところに来たのだろう?世界滅亡が本当の目的ならわざわざ僕を巻き込む理由がない。となると、何か別の目的があると考えるのが自然だろう。などと考えていると――――――

 

 こいつは僕の頬にそっと、キスをした。

 

 「・・・・・・・・・は?」

 あっけにとられる僕をよそに奴は堂々と、今思い返しても腹が立つくらい堂々とした様子でその場を立ち去った。世界滅亡のスイッチをその場に残したまま。いやぁ、実に格好良かったよ、キスされたのが僕じゃなかったら間違いなく拍手をしていたね。

 

 「・・・待てよ!世界は滅んでないぞ、何も変わってないぞ!」半ば負け惜しみでそう叫ぶ。

 「神様だって作るのに7日かかった世界ですよ、そう簡単に崩れ去りませんよ!」

 にっこりと笑ってそう叫び返された。あーあ、完敗だ。僕は無様にぼけっとそこに突っ立ているしかなかった。ポケットにしまうにはちょっと大きすぎる、あのスイッチを手に持ったまま。

 

 

 

 

 

 大学をどうにか卒業した今でも、ふとあのスイッチを押してみる時がある。

 もちろん世界は、終わらない。